理由

自分が、自分を大事にしてくれない人と仲良くなって
その人の悩みを一緒になって解決するという阿呆なことをするのは
何故だろうか?ということに答えが出た

自分は、優しさという体で、自分を大事にしてくれない人に復讐したい。
自分はあなたを救ったよ、だからあなたも私を大事にしてよね?という
脅迫と、それが出来なかった時に相手を怒れることを期待しているのだと思う
相手を大事にするためのモチベーションは怒りなのだ

その怒りの下には、自分の気持ちを聞いてもらえなかった悲しさだったり
辛さだったりが眠っている
その悲しさ、辛さが満たされなくて、怒ることも許されなくて
その中で、怒りを優しさとして表現することで、相手を追い詰めようとする
そんなストレス解消?適応?方法が生まれたのだと思う

加藤諦三の本だったか何かに、異様に優しい人は本当は怒っている
そんな記述を見た気がするけど、多分それと全く同じだと思うし
ほんとはぜんっっっっっっぜん優しくないんだと思う
むしろ、めちゃくちゃ酷い人間だと思うし、それを認めたくなくて
優しい自分を演じているのだろう

誰もここのことを知らないと思うとやっぱりここは消せない

友達とか昔の恋人に対してわーわーなってた気持ちは
もうだいぶ鎮火しつつある

距離が離れても何かしてあげたかったり、どうにかしたかったり
そういう気持ちが強かったんだけれども、自分が出来ることは
声をかけずにただ黙っていることなんじゃないか、
そう思えたら、どんどん気持ちの火が小さくなっていった

声かけなくても、何かしてあげなくても
相手にとって何の不足も無いのなら、もうずっと
黙っていてもいいんだと思えたし、
距離が離れるならばもうそれも放置しておけばいい、
寧ろなんで最初からそれをしなかったんだろうなと
そう思うくらいになった

私にとってここは鎮魂の場なのかもしれない

あまり覗きにこないここだけど、

それでもこの場所を消せないのは、リアルの自分を知っている人がいないからだ

恋人と別れて以前よりTwitterにのめりこむようになったりしたけど
やればやるほど疲れていくのが自覚出来たし、
そこまで人との付き合いに拘泥しなくてもいい
(その代わりに、TwitterつながりでSkype出来る人が出来た)
そんな風に思うようになっている。

結婚とか恋人とかも一時凄い欲しくなった(要は寂しかった)
時期があったけど、今はもう半ば諦めというかこだわりがなくなって
恋人が出来るとか結婚するって、車で衝突されるような
偶発的な出来事(確立を上げることは出来ても)だよなと思い
最悪犬でも飼って好き勝手暮らしてもいいかな、と思っていたりする。
(実家はローンも返し終わっているし、周りは畠が多くて
 そこで果樹でも育てる余生を過ごしてもいいかなと思うし)
友達と同じように、恋人も作るものというよりは
いつのまにか-出来ているものだと考えるようになった。

急激な変化

方々で文章を書いているので、自分に対する記録が
分散して存在する。

一か月前の記事でも、読んでみるとまるで他人のようで
過去最高のスピードで自分の感じ方や考え方が変わっているのが
偏在した記録によって確認できる。

日々過ごしている間は気付かなくても、文章として生み落して
自分の気持ちや考えを、時間に対する慣性から自由にしてやることで
気付くことがある。

necessary

ああなんかこう色々人付き合いについて考えてて。

友達の結婚式の余興のメンバーにいつのまにか入れられてるとか

(ちゃんと手順を踏めよと思ったり)

二次会の新婦側の幹事と意思疎通が上手く捗らず、

正直一人でやった方がよっぽど無駄がないとか思ったりして

人付き合いの中で色々うまく回らない状態にあったりした。

(正確に言えば今もそうだ)

 

去年色々と思い返して、ああ自分って友達も何も大事に出来てない

そんな風に思って友達に謝って回って人間関係を再構築しようと

そんなことをしていたんだけど、今になって、果たして去年

自分がやってきたことって必要あったんだろうか、って思った。

 

謝って回った友達は誰一人自分に酷いことをされたなんて

思ってもいなくて、むしろ???って反応だった。

それに自分にはそこまで人付き合いって必要だったのだろうか?

そんな風に考え直すようになった。

 

なんかさ、周りがみんな仲良くしてて、付き合ってた人に

大事にしてくれてないって言われたから、人間関係を再構築しようと

頑張ってたんだけど、自分はそこまで人間関係を必要としない

そんなタイプなんじゃないかなって思い返すことになった。

 

お友達がいっぱいいてわーい!って言うんじゃなくて

2人か3人くらい、自分のことを分かってくれる人がいたら

正直後はどうでもいい、そういうタイプなんじゃないかって。

(偶然?にも去年はその3人を全て失って死ぬ思いをした-今もだけど)

 

孤独な方が力が発揮できる人が無理に人混みに入って仲良くやろう

そんなことやってるからしんどいんじゃ?

Twitterも何回もアカウント消しちゃうんだけど、

ある程度以上人間関係が増えるとしんどくて消したくなる。

 

みんなとは違って、自分の傍らに一人でもいてくれたら

自分はそれでいいタイプなんだ、人付き合いはどうでもいい

そんな生き方のほうがきっと合ってるんだよな、って

思い返した日だった。

 

しばらくちょっとこう、本を読むのを止めようかなと思った。
読書が嫌いになったわけではないけれど、沢山のHow-to本を
読みすぎて、自分が行動-思考する時の足かせならぬ脳かせになってて
この状況は望んでいたものと違うかなあと。

何か考える度に本の中の知識がふわっと浮かぶ時があって
そのおかげで助かってきたこともあるんだけど、
最近はむしろそれらのせいで自分らしさを無くしているような気もしていた。
(○○したい、と思うと、本の中の知識が、それは違うよ、って言ってくる)
私は自分らしさを失うために本を読んできたわけではないから。

何故苦しいのか

ただ過ごしているだけで何故苦しいのかと思っていた。
ふとした思いで気づいたのは
・変に優しくしすぎること
・本質的にはいい人ではないのにいい人ぶっていること
・自分を悪者にしたくない、悪者ということを認めたくない

この3つが原因か?と。

いい人ぶって優しくしすぎて、それで無理がかかって
優しく出来ない自分を肯定できない、自分の悪の部分を
認められないことが原因だったように思う。

自分は優しくないし、いい人でもないし、本当は悪者だ。
友達の結婚式の二次会の幹事になってしまったけれど、
新郎新婦の意識の低さ(特に新郎)とか、
新婦側の幹事の人の動かなさ(言い方を悪くすれば
使えない、ということ)にううんってなったりもする。
指示すれば動いてはくれるのだとは思うけど、
自分はリーダーではないし、幹事役としては全員が
フラットな関係だと(自分は)思うので、なんかな、と。

本質的に汚い人間なんだけど、それを隠そうとしているから
きつかったりしんどかったりしたのだろう...
いい人のポーズを取ることはできても、いい人にはなれない。
そんなことを悟った。